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「ダークナイト・ライジング」に、怪力男ベインが登場! [映画鑑賞]
クリストファー・ノーラン監督によるバットマン・サーガ第3弾「ダークナイト・ライジング」が、日本でも7月に公開されることが正式決定となりました。オイラ的には前作「ダークナイト」があまりにも完璧だったので、正直これでノーラン版「バットマン」は一応完結なんだろうと思っていたら、まさかの3作目の製作決定!。これには大いなる喜びを感じた訳ですが、同時に一抹の不安も感じてしまいました。何故なら、「ダークナイト」を超えるような続編が出来るのか?という心配が、脳裏をよぎったからです。しかしそこはクリストファー・ノーラン監督、きっと「ダークナイト」を超えるような作品を作ってくれることでしょう。
さて、続編が決まったとなれば、やはり気になるのはヴィラン(悪役)のこと。
「バットマン・ビギンズ」ではラーズ・アル・グールとスケアクロウ、「ダークナイト」ではジョーカーとトゥー・フェイスが登場した訳ですが、果たして「ダークナイト・ライジズ」ではいったい誰が登場するのか?、興味津々でおりました。
そんな中まずアナウンスされたのが、キャット・ウーマン。
原作ではジョーカーに続く人気キャラクターのひとりで、これは妥当な登板ですね。
シリーズ初のロマンスが描かれるのでしょうか?。
そして、当然キャット・ウーマンひとりって訳ではないだろうから、もう一人は果たしていったい誰が登場するのだろう?と、思いを巡らす。ペンギン?、それともリドラー?、ノーラン監督の作風から考えてMr.フリーズはあり得ないよね?、動物つながりでキラー・クロックとかマンバットあたりはどう?、クレイ・フェイスは実写向けとしてはちょっとマンガっぽい?、マッド・ハッターあたりが意外と面白いんじゃないの?....と、いろいろ予想をしていましたが、アナウンスされたのは....
まさかのベイン!(^皿^;)
バットマンの世界に明るくない方のために一応説明しておくと....
ベインは、どんなマンガにも一人はいるであろう、いわゆる怪力系ヴィラン(悪役)です。
覆面姿にタンクトップ&黒タイツと、その容姿はまんまプロレスラー。南米のとある独裁国家出身の彼は、軍人となり身体能力を増強させる実験に参加、ベノムという薬品により彼は誰にも負けない肉体を手にします。その後、独裁国家を脱出、その足でゴッサム・シティへと流れ着いた彼は、ゴッサムを支配すべく、バットマンと対立することになります。そして、バットマンことブルース・ウェインと対決、彼の背骨をヘシ折り、勝利したことで、一躍その名をゴッサム・シティで広げることに成功します。映画ではかつてジョエル・シューマッカー監督作品「バットマン&ロビン〜Mr.フリーズの逆襲」(97年)にもチョイ役として登場していたので、ご記憶の方も多いと思います。
バットマンの背骨をヘシ折ったキャラクターとして有名なベイン。だけど、バットマンに登場する悪役の中では比較的地味な存在の彼。そんなベインをキャスティングするあたりが、いかにもクリストファー・ノーラン監督らしいですね。
では、果たしてそんなベインをいったい誰が演じるのか?。
巨漢俳優マイケル・クラーク・ダンカン?、ヴィン・ディーゼルのベインなら是非見てみたい!、或いは最近映画業界での活躍が目覚ましいプロレスラー、“ロック様”ことドゥエイン・ジョンソン?....様々なマッチョ系俳優を想像していましたが、正式アナウンスされたのは、なんとトマス・ハーディでした。
....トマス・ハーディっていったい誰だよッ!?(^皿^;)
いや、知ってますけどね。
クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」に出てた人ですよね?。ディカプリオらとともに夢の中に潜入するメンバーで、夢の中での変装が得意だというキャラクターを演じてた俳優さん。
でも、トマス・ハーディって、そんなにマッチョだったかなあ?。って言うか、トマス・ハーディ、ひょっとしたらクリスチャン・ベイルよりも身長低くないか!?。バットマンよりも背が低いベインって、有りなの?。
という訳で、ベイン役にトマス・ハーディ起用という、この意外なキャスティングには不安要素たっぷりな訳ですが、これまでも独自のキャラクター像を生みだしてきたクリストファー・ノーラン監督のことですから、きっとコミックとはまた違ったベイン像をクリエイトしてくれることでしょう。
ハーヴィー・デントの写真を片手に掲げ、演説をぶちまけるテロリスト・ベイン。
果たして、彼は何を語っているのでしょうか?。
「ダークナイト・ライジズ」は、7月公開です!(^皿^)/。
「ゴッサムが灰と化したら....殺してやる」

さて、続編が決まったとなれば、やはり気になるのはヴィラン(悪役)のこと。
「バットマン・ビギンズ」ではラーズ・アル・グールとスケアクロウ、「ダークナイト」ではジョーカーとトゥー・フェイスが登場した訳ですが、果たして「ダークナイト・ライジズ」ではいったい誰が登場するのか?、興味津々でおりました。
そんな中まずアナウンスされたのが、キャット・ウーマン。
原作ではジョーカーに続く人気キャラクターのひとりで、これは妥当な登板ですね。
シリーズ初のロマンスが描かれるのでしょうか?。
そして、当然キャット・ウーマンひとりって訳ではないだろうから、もう一人は果たしていったい誰が登場するのだろう?と、思いを巡らす。ペンギン?、それともリドラー?、ノーラン監督の作風から考えてMr.フリーズはあり得ないよね?、動物つながりでキラー・クロックとかマンバットあたりはどう?、クレイ・フェイスは実写向けとしてはちょっとマンガっぽい?、マッド・ハッターあたりが意外と面白いんじゃないの?....と、いろいろ予想をしていましたが、アナウンスされたのは....
まさかのベイン!(^皿^;)
バットマンの世界に明るくない方のために一応説明しておくと....
ベインは、どんなマンガにも一人はいるであろう、いわゆる怪力系ヴィラン(悪役)です。
覆面姿にタンクトップ&黒タイツと、その容姿はまんまプロレスラー。南米のとある独裁国家出身の彼は、軍人となり身体能力を増強させる実験に参加、ベノムという薬品により彼は誰にも負けない肉体を手にします。その後、独裁国家を脱出、その足でゴッサム・シティへと流れ着いた彼は、ゴッサムを支配すべく、バットマンと対立することになります。そして、バットマンことブルース・ウェインと対決、彼の背骨をヘシ折り、勝利したことで、一躍その名をゴッサム・シティで広げることに成功します。映画ではかつてジョエル・シューマッカー監督作品「バットマン&ロビン〜Mr.フリーズの逆襲」(97年)にもチョイ役として登場していたので、ご記憶の方も多いと思います。
バットマンの背骨をヘシ折ったキャラクターとして有名なベイン。だけど、バットマンに登場する悪役の中では比較的地味な存在の彼。そんなベインをキャスティングするあたりが、いかにもクリストファー・ノーラン監督らしいですね。
では、果たしてそんなベインをいったい誰が演じるのか?。
巨漢俳優マイケル・クラーク・ダンカン?、ヴィン・ディーゼルのベインなら是非見てみたい!、或いは最近映画業界での活躍が目覚ましいプロレスラー、“ロック様”ことドゥエイン・ジョンソン?....様々なマッチョ系俳優を想像していましたが、正式アナウンスされたのは、なんとトマス・ハーディでした。
....トマス・ハーディっていったい誰だよッ!?(^皿^;)
いや、知ってますけどね。
クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」に出てた人ですよね?。ディカプリオらとともに夢の中に潜入するメンバーで、夢の中での変装が得意だというキャラクターを演じてた俳優さん。
でも、トマス・ハーディって、そんなにマッチョだったかなあ?。って言うか、トマス・ハーディ、ひょっとしたらクリスチャン・ベイルよりも身長低くないか!?。バットマンよりも背が低いベインって、有りなの?。
という訳で、ベイン役にトマス・ハーディ起用という、この意外なキャスティングには不安要素たっぷりな訳ですが、これまでも独自のキャラクター像を生みだしてきたクリストファー・ノーラン監督のことですから、きっとコミックとはまた違ったベイン像をクリエイトしてくれることでしょう。
ハーヴィー・デントの写真を片手に掲げ、演説をぶちまけるテロリスト・ベイン。
果たして、彼は何を語っているのでしょうか?。
「ダークナイト・ライジズ」は、7月公開です!(^皿^)/。
「ゴッサムが灰と化したら....殺してやる」

『洋画 じわり字幕離れ』〜朝日新聞2012年1月16日付け記事を読みながら思ったこと [吹き替えについて]
朝日新聞2012年1月16日朝刊の記事によると、洋画から字幕が減りつつあるのだという。衛星放送の映画専門チャンネルや、大手シネコンで、吹き替え版の占有率が増えているそうなのだ。確かに、以前に比べると劇場で吹き替え版を目にする機会は多くなったように感じます。
記事によれば、字幕離れの原因に以下のような理由が挙げられている。
1、衛星放送など自宅鑑賞の場合、字幕だと“ながら視聴”が出来ない
2、映画館の場合、作品のスタイルが変化(映像の切り替わるテンポが早い、など)したことや、昨今流行りの3D映画の影響。
また現在公開中の「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」を例に出し、1作目、2作目が字幕版オンリーだったのに対し、3作目では25%、4作目では実に44パーセントが吹き替え版の上映だというデータも記載されていた。
(因みに「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の日本語吹き替え版はとても素晴らしい出来なので、オイラ的には吹き替え版での鑑賞を強くお薦めします!)
これは周知の事実だけれど、字幕版がこれほど愛される国は日本くらいで、海外では外国の作品が吹き替えで上映されることの方が多い。記事ではそのことにも触れていて、英語圏ではないイタリアでは98%、フランスでは90%が吹き替えで上映されているというデータも掲載されていた。
更に記事では、吹き替え版の普及により、いわゆるタレント起用による映画宣伝という手法が定着したことにも触れている。「ナルニア国物語」に起用された元宝塚出身の大物女優や、「ハッピー・フィート」に起用されたジャニーズのアイドルや人気子役、そして2月公開の新作「TIME/タイム」では時代を反映してか、AKB48の某メンバーが起用されたことなどが記載されていた。
映画ジャーナリストの大高宏雄さんは記事の最後をこう締めくくっています。
「外国俳優の個性を大事にし、作品のオリジナル性を受け入れるのが字幕文化だった。以前はあった洋画への敬意が、薄れてきているのではないか」
(前半部分はなんとも大袈裟な解釈で賛同出来ないけど、後半部分に関しては同意見)
さて、洋画における日本語吹き替え版の素晴らしさを、このブログに於いて地味〜に訴え続けているオイラとしては、吹き替え版普及のニュースは大変喜ばしい出来事だと受け止めています。例えば、現在公開中の「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の日本語吹き替え版をご覧になられた方が「吹き替え版で映画を見るのも、結構いいわね」と、吹き替え版に対して好印象を持って頂けたなら、こんなに嬉しいことはありません。
一方で、この状況を諸手を挙げて喜んでばかりもいられません。何故なら記事に挙げられていたように、いわゆる“タレント起用問題”が存在するからです。
オイラは基本的に吹き替え版へのタレント起用は反対ですが、だからといって100パーセント反対!っていう訳じゃありません。実際タレントさんが吹き替えをして面白くなった例はたくさんあるからです。
最近だと「塔の上のラプンツェル」でラプンツェルを演じた中川翔子さんは素晴らしかったし、「カーズ」でメーターを演じた山口智光さんも良かった。「Mr.インクレディブル」で悪役を演じた宮迫博之さん、「モンスターズ・インク」の田中光さん、「シュレック・フォーエバー」の劇団ひとりさんなど、素晴らしい演技を披露される方も決して珍しくありません(吹き替えと言っても、実写映画の吹き替えとアニメの吹き替えでは、基本的にオイラの中では若干解釈が違うのですが、それはまた別の機会に語りたいと思います)。プロの役者さんでない方々(特に芸人さん)が、役者顔負けの演技を披露するケースは多々あるので、一概にタレント起用反対!と言うつもりはないのです。
ただ一般論で言えば、いわゆるタレントさんが起用されたことで吹き替えのクオリティが下がったケースは過去に何度もありました。だから映画の宣伝は重要なことだけれど、そのために吹き替えというものを安易に利用して欲しくないと強く思うのです。
映画は商品です。だからそれを売らんとする気持ちはよく理解出来ます。
ただ昨今の吹き替え版へのタレント起用は、宣伝目的が最優先され、作品そのものに対する敬意や愛情が感じられないのです。
本来日本語吹き替え版の制作は、海外の役者さんが精魂込めて演じているそのお芝居を、同じ(或いはそれ以上の)クオリティの日本語に置き換える作業のはずです。にも関わらず、宣伝目的を優先させ、売れっ子で知名度はあるけれど演技が未熟なタレントを起用することは、オリジナル版に対しての冒涜とは言えないでしょうか?。映画業界で働きながら、映画に対する愛情のない人たちがいる....そのことにものすごく憤りを感じます。タレントさんたちは、そういう人たちの犠牲になっているに過ぎません。彼(彼女)らもまた、ある意味被害者なのです。
歌に例えてみれば、よくわかると思います。
海外ですごくヒットした素晴らしい洋楽があるとします。それを日本語に置き換えて歌を出すことにしました。実力派シンガーがそれをオリジナル版に負けないような歌唱力で歌ったとしたら、オリジナル版のファンの方もきっと納得するでしょう。しかし、それをもし歌唱力が未熟なタレントが歌ったとしたらどうでしょう?。オリジナル曲のファンならきっと「冒涜だ!」と憤りを感じるはずです。何故ならそこにオリジナル版への敬意が感じられないからです。
そして、同じようなことが吹き替えに於いても、未だ平然と行われている現実。
宣伝は大事です。でも何よりも大事な事は、まず作品に対して敬意を払うことです。
オイラは日本語吹き替え版を愛してやまない人間ですが、それ以上に映画そのものを愛しています。そんな映画に対して業界で働きながら作品を傷つけても平気な人たちが存在する....そのことが本当に許せません。そういう人たちのおかげで、吹き替え版に偏見を持つ人が生まれるとしたら、こんなに悲しいことはありません。
さて記事が長くなってきたので、今回はここまで。
次回の記事では、オイラが最近出会ったいわゆる“ダメだった吹き替え版”をいくつか例に挙げて、どこが悪かったのか?について、またまた熱く語りたいと思います(^皿^)。
「映画業界で働きながら、映画愛のないヤツらがいる....
そんなヤツは、このバズ・ライトイヤーが許さんッ!」

記事によれば、字幕離れの原因に以下のような理由が挙げられている。
1、衛星放送など自宅鑑賞の場合、字幕だと“ながら視聴”が出来ない
2、映画館の場合、作品のスタイルが変化(映像の切り替わるテンポが早い、など)したことや、昨今流行りの3D映画の影響。
また現在公開中の「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」を例に出し、1作目、2作目が字幕版オンリーだったのに対し、3作目では25%、4作目では実に44パーセントが吹き替え版の上映だというデータも記載されていた。
(因みに「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の日本語吹き替え版はとても素晴らしい出来なので、オイラ的には吹き替え版での鑑賞を強くお薦めします!)
これは周知の事実だけれど、字幕版がこれほど愛される国は日本くらいで、海外では外国の作品が吹き替えで上映されることの方が多い。記事ではそのことにも触れていて、英語圏ではないイタリアでは98%、フランスでは90%が吹き替えで上映されているというデータも掲載されていた。
更に記事では、吹き替え版の普及により、いわゆるタレント起用による映画宣伝という手法が定着したことにも触れている。「ナルニア国物語」に起用された元宝塚出身の大物女優や、「ハッピー・フィート」に起用されたジャニーズのアイドルや人気子役、そして2月公開の新作「TIME/タイム」では時代を反映してか、AKB48の某メンバーが起用されたことなどが記載されていた。
映画ジャーナリストの大高宏雄さんは記事の最後をこう締めくくっています。
「外国俳優の個性を大事にし、作品のオリジナル性を受け入れるのが字幕文化だった。以前はあった洋画への敬意が、薄れてきているのではないか」
(前半部分はなんとも大袈裟な解釈で賛同出来ないけど、後半部分に関しては同意見)
さて、洋画における日本語吹き替え版の素晴らしさを、このブログに於いて地味〜に訴え続けているオイラとしては、吹き替え版普及のニュースは大変喜ばしい出来事だと受け止めています。例えば、現在公開中の「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の日本語吹き替え版をご覧になられた方が「吹き替え版で映画を見るのも、結構いいわね」と、吹き替え版に対して好印象を持って頂けたなら、こんなに嬉しいことはありません。
一方で、この状況を諸手を挙げて喜んでばかりもいられません。何故なら記事に挙げられていたように、いわゆる“タレント起用問題”が存在するからです。
オイラは基本的に吹き替え版へのタレント起用は反対ですが、だからといって100パーセント反対!っていう訳じゃありません。実際タレントさんが吹き替えをして面白くなった例はたくさんあるからです。
最近だと「塔の上のラプンツェル」でラプンツェルを演じた中川翔子さんは素晴らしかったし、「カーズ」でメーターを演じた山口智光さんも良かった。「Mr.インクレディブル」で悪役を演じた宮迫博之さん、「モンスターズ・インク」の田中光さん、「シュレック・フォーエバー」の劇団ひとりさんなど、素晴らしい演技を披露される方も決して珍しくありません(吹き替えと言っても、実写映画の吹き替えとアニメの吹き替えでは、基本的にオイラの中では若干解釈が違うのですが、それはまた別の機会に語りたいと思います)。プロの役者さんでない方々(特に芸人さん)が、役者顔負けの演技を披露するケースは多々あるので、一概にタレント起用反対!と言うつもりはないのです。
ただ一般論で言えば、いわゆるタレントさんが起用されたことで吹き替えのクオリティが下がったケースは過去に何度もありました。だから映画の宣伝は重要なことだけれど、そのために吹き替えというものを安易に利用して欲しくないと強く思うのです。
映画は商品です。だからそれを売らんとする気持ちはよく理解出来ます。
ただ昨今の吹き替え版へのタレント起用は、宣伝目的が最優先され、作品そのものに対する敬意や愛情が感じられないのです。
本来日本語吹き替え版の制作は、海外の役者さんが精魂込めて演じているそのお芝居を、同じ(或いはそれ以上の)クオリティの日本語に置き換える作業のはずです。にも関わらず、宣伝目的を優先させ、売れっ子で知名度はあるけれど演技が未熟なタレントを起用することは、オリジナル版に対しての冒涜とは言えないでしょうか?。映画業界で働きながら、映画に対する愛情のない人たちがいる....そのことにものすごく憤りを感じます。タレントさんたちは、そういう人たちの犠牲になっているに過ぎません。彼(彼女)らもまた、ある意味被害者なのです。
歌に例えてみれば、よくわかると思います。
海外ですごくヒットした素晴らしい洋楽があるとします。それを日本語に置き換えて歌を出すことにしました。実力派シンガーがそれをオリジナル版に負けないような歌唱力で歌ったとしたら、オリジナル版のファンの方もきっと納得するでしょう。しかし、それをもし歌唱力が未熟なタレントが歌ったとしたらどうでしょう?。オリジナル曲のファンならきっと「冒涜だ!」と憤りを感じるはずです。何故ならそこにオリジナル版への敬意が感じられないからです。
そして、同じようなことが吹き替えに於いても、未だ平然と行われている現実。
宣伝は大事です。でも何よりも大事な事は、まず作品に対して敬意を払うことです。
オイラは日本語吹き替え版を愛してやまない人間ですが、それ以上に映画そのものを愛しています。そんな映画に対して業界で働きながら作品を傷つけても平気な人たちが存在する....そのことが本当に許せません。そういう人たちのおかげで、吹き替え版に偏見を持つ人が生まれるとしたら、こんなに悲しいことはありません。
さて記事が長くなってきたので、今回はここまで。
次回の記事では、オイラが最近出会ったいわゆる“ダメだった吹き替え版”をいくつか例に挙げて、どこが悪かったのか?について、またまた熱く語りたいと思います(^皿^)。
「映画業界で働きながら、映画愛のないヤツらがいる....
そんなヤツは、このバズ・ライトイヤーが許さんッ!」

そして、ブルーは旅に出る [動物・植物・昆虫の画]
ロシアンブルーの猫、ブルーはずっと感じていた....
「ここは自分がいるべき場所ではない」と。
飼い主であるエリザベスは、とても優しい女の子だ。
彼女に対して、不満がある訳ではない。
ここでの生活はとても快適なものだった。
だがブルーの心が満たされることは決してなかった。
「外の世界をこの目で見てみたい」
ブルーは、そう感じながらずっと過ごしてきた。
ある寒い夜のこと。
窓から差し込む満月の光が、
ベッドの上ですやすやと眠るエリザベスの顔を優しく照らしている。
ブルーは静かにベッドへと飛び乗ると、彼女にそっと近づいた。
別れのキスをするために。
ブルーのヒゲが彼女の頬に触れると、彼女は優しく微笑んだ。
「さようなら、エリー」
ついにブルーは家の外へと飛び出した。
冷たい夜風が、なぜか心地いい。
「ようブルー、遂に旅へ出るのかい?」
ブルーが振り返ると、そこには誰もいなかった。
庭に生える大きな木をのぞいて。
「世話になったね、フランク」
ブルーは年老いた老木のフランクに近づき話しかける。
老木はブルーの心に囁きかけた。
「私も歩けるものなら、この世界を旅してみたいものだよ」
ブルーはすばやい身のこなしで老木の幹を駆け上り、枝へと腰を下ろした。
そこから見える眺めは、ブルーが窓から眺めるそれと同じだった。
夜空に浮かぶ星々はきらきらと輝き、それは地平線の彼方まではっきりと見えた。
「エリーのことを頼むよ、フランク」
老木は優しくうなずいた(ようにブルーには見えた)。
ブルーは爪を立てないように、そっとフランクから降りると歩き始めた。
どこかに行くアテがある訳ではなかった。
ただ、歩き始めた。
ロシアンブルーの猫、ブルー。
彼がこの世界を救うことになるのは、これから5年と3ヶ月25日後のことである。
そのことはエリザベスも老木フランクも、ブルー自身でさえもまだ知る由もなかった。
ブルーの旅は、始まったばかりである....

立ち上がれ、何度でも!〜「リアル・スティール」を鑑賞する [映画鑑賞]
H・ジャックマンの新作映画「リアル・スティール」を見てきました。
見るまで知らなかったんですが、この作品、S・スピルバーグとR・ゼメキスがプロデュースしてた作品だったんですね。オイラ的には“ロボット同士が戦うボクシング映画”という認識しかなかったのですが、どうやらそこに“父と息子の感動物語”が盛り込まれているらしいです(^皿^)。
『リアル・スティール』(原題:REAL STEEL )
監督:ショーン・レヴィ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ヒュー・ジャックマン
ダコタ・ゴヨ
エヴァンジェリン・リリー
アンソニー・マッキー
ケヴィン・デュランド
ジェームズ・レブホーン
ホープ・デイヴィス
オルガ・フォンダ
カール・ユーン
他
【あらすじ】
元ボクサーのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、ロボットボクシングのプレイヤーとして日銭を稼ぐ日々を送っていた。だが、借金まみれの荒れた生活にかつてのような夢や希望はなかった。そんなある日のこと、以前つき合っていた恋人の訃報が届く。そして彼女との間に出来た息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が現れる。今更子供の面倒をみるつもりもないチャーリーは、マックスを引き取って面倒をみたいという叔母夫婦に、親権を譲り渡すかわりに金銭を要求する。こうして大金を手に入れたチャーリーは、叔母夫婦が海外旅行に出ている2ヶ月間だけマックスの面倒をみることになる。チャーリーは手に入れた大金で早速新たなロボットを手に入れるのだが、それも地下試合で無惨にも破壊されてしまった。困ったチャーリーはロボットのパーツを盗もうとスクラップ工場へと侵入するのだが、そこで同行していた息子マックスは廃品同然のロボット“ATOM”を発見する....。
....うーむ、ちょっと期待外れだったかなあ(^皿^;)。
映画「リアル・スティール」は、人生のどん底にいる主人公が再起をかけて這い上がる物語であり、父と息子が親子の絆を取り戻す物語。前評判ではとても感動する物語と聞いていたのですが、オイラ的には琴線に触れる部分は少なかったです。その理由をいくつかピックアップしてみます。
【ボクサーとしての葛藤が少ない】
主人公チャーリーはボクサーだったけど、ロボットボクシングの台頭によりその職を失います。自身の職を奪った憎むべきロボットボクシングであるにも関わらず、ボクシングしか知らないチャーリーはロボットボクシングに関わることでしか生計を立てることが出来ません。或いは、例えロボットボクシングであったとしても、ボクシングに携わる仕事についていたいという思いがあったのかもしれません。そういった複雑な心理状況があまり描かれない点が、主人公というキャラクターとしてものすごく薄っぺらいものとなっていたような気がしました。
【父と息子との間で、母親のことが話題にならない不自然さ】
確かにこの映画は父と息子の交流が主軸の物語です。ロボットボクシングを通じて父と息子がお互いのわだかまりを徐々に解いていくという展開はそれなりに感動的なのですが、ただその過程で母親の話題が持ち上がらない点に、どうしても矛盾や違和感を感じてしまいました。
マックスと交流していく中でチャーリーの中に徐々に父性が目覚めていけば、当然ひとりで子育てしていたキャロラインのことについて思いを馳せるだろうし、マックスにしても「どうして父は自分を捨てて母は別れてしまったのか?」その理由が知りたいはずだと思います。そういうことを父と息子で語り合う場面を是非挿入して欲しかった。そうすれば親子のドラマとしてもっと厚みが出たのにと残念でなりませんでした。
【アトムの模倣機能には、まったく意味がない】
映画を見るまでは、それほど魅力を感じなかったロボットたち。だけど、実際に動く映像を見たらなかなかにかっこ良かったです。しかしながら、主人公アトムに関してはいろいろと思うところがありました。このテの映画のアラを探してツッコミを入れるのはヤボだということを重々承知で、それでも敢えてそのあたりを記したいと思います。
〈アトムの顔や手のデザインに関して〉
アトムは対スパーリング用のロボット。劇中でもそのことを理由にしてアトムの頑丈さが強調されています。それなのに、顔が網(あみ)ってのはおかしくないですか?。そこを一番頑丈に作らなくっちゃダメでしょう。それとアトムの手です。いわゆる人さし指がついているんだけど、ボクシングロボなのだから、指は必要ないだろうと思うわけです。例えば、ゼウスのようにショー用ロボなら、例え指があったとしてもそれはパフォーマンス用だと多少納得はいく訳です。でもアトムは単なる練習用ロボ。その手はいわゆるグーパンチの形をした鉄の固まりで充分だと思うのです。大体指関節みたいな繊細な部分があったら、そこから壊れちゃいますよ。アトムは対スパーリング用ロボだと謳いながら、その実デザインはその体(てい)を成していない訳です。
〈アトムの模倣機能には、まったく意味がない〉
アトムには目の前にある対象物の動きをそっくり真似をする模倣機能がついています。これがドラマの伏線となっていて、クライマックスでそのことが活かされます。確かにヒュー・ジャックマンの動きを真似しながら戦う場面は、感動的でした。でも、ちょっと冷静になって考えてみると、この設定も非常におかしいことに気付きます。なぜなら模倣機能というのが対スパーリング用ロボットの性能としては、実に意味のない機能だからです。自分の動きをそっくり真似するロボットを相手にスパーリングしても、練習になる訳がない。それは鏡に向かってシャドーボクシングをしてることと同じです。これが人間ならフォームの確認や修正といった意味もありますが、ロボットにはまったく必要のないものです。
そして、何よりも不可解なのはアトムが真似をする対象をどうやって認識しているのか?ということです。真似をする対象が近くにひとりしかいない状況ならまだしも、例えば試合会場のような不特性多数の人間がいるなかで、なぜアトムはゼウスの真似ではなく、ヒュー・ジャックマンの真似を出来たのでしょうか?。単なるスパーリング用ロボットなのにも関わらず、高度な認識機能を持っているとしか思えません。
つまるところ、アトムは対スパーリング用ロボット(しかも旧式)だといいながら、そのデザインや性能がそれと全然マッチしていないのです。これが単なる脇役ならだまって目をつぶることも出来ますが、アトムは主人公なので、つじつまの合わない設定は、やはりどうしても気になってしまいます。これが、ドラマの世界に没頭出来ない大きな要因のひとつとなってしまいました。
【ドラマとしての終わり方が良くない】
映画はアトムが最新型の高性能ロボット・ゼウスと善戦したものの、試合結果は負け。それでも、皆の顔は晴れやか!....みたいな感じで終わりを迎えます。試合の流れや終わり方が「ロッキー」まんまですが、それ自体は別にどうでもいいのです。オイラが感じたのは、「これが単なるロボットボクシングの物語ならそのエンディングでも全然問題ないけど、これが親子の絆の物語だとしたら、そこで終わっちゃダメだろう!」ということでした。
例えば、エンディングで母親の墓参りに行って懺悔するチャーリーというのもありだと思うし、マックスの将来を考えてやはり叔母夫婦に引き取ってもらう決断をするチャーリー、とか、そういった場面があっても良かったように思う。チャーリーが父親としての自覚に目覚めた故の行動というものを最後にきちんと見せることで、ドラマとしての厚みがもっと出たのに、と残念でなりません。
ショーン・レヴィの作品は「ナイト・ミュージアム」しか見たことがありませんが、その時にも感じたなんだかとっても“薄い”感じが、今作からも感じられました。コメディ映画だろうが、アクション映画だろうが、核となるドラマの部分を軽んじると、作品自体がとっても薄っぺらく軽いものになると感じた「リアル・スティール」でした。
ダニー・エルフマン大好きなんだけど、今作はなんか今イチでした
「その名前、日本では使えませんよ」

見るまで知らなかったんですが、この作品、S・スピルバーグとR・ゼメキスがプロデュースしてた作品だったんですね。オイラ的には“ロボット同士が戦うボクシング映画”という認識しかなかったのですが、どうやらそこに“父と息子の感動物語”が盛り込まれているらしいです(^皿^)。
『リアル・スティール』(原題:REAL STEEL )
監督:ショーン・レヴィ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ヒュー・ジャックマン
ダコタ・ゴヨ
エヴァンジェリン・リリー
アンソニー・マッキー
ケヴィン・デュランド
ジェームズ・レブホーン
ホープ・デイヴィス
オルガ・フォンダ
カール・ユーン
他
【あらすじ】
元ボクサーのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、ロボットボクシングのプレイヤーとして日銭を稼ぐ日々を送っていた。だが、借金まみれの荒れた生活にかつてのような夢や希望はなかった。そんなある日のこと、以前つき合っていた恋人の訃報が届く。そして彼女との間に出来た息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が現れる。今更子供の面倒をみるつもりもないチャーリーは、マックスを引き取って面倒をみたいという叔母夫婦に、親権を譲り渡すかわりに金銭を要求する。こうして大金を手に入れたチャーリーは、叔母夫婦が海外旅行に出ている2ヶ月間だけマックスの面倒をみることになる。チャーリーは手に入れた大金で早速新たなロボットを手に入れるのだが、それも地下試合で無惨にも破壊されてしまった。困ったチャーリーはロボットのパーツを盗もうとスクラップ工場へと侵入するのだが、そこで同行していた息子マックスは廃品同然のロボット“ATOM”を発見する....。
....うーむ、ちょっと期待外れだったかなあ(^皿^;)。
映画「リアル・スティール」は、人生のどん底にいる主人公が再起をかけて這い上がる物語であり、父と息子が親子の絆を取り戻す物語。前評判ではとても感動する物語と聞いていたのですが、オイラ的には琴線に触れる部分は少なかったです。その理由をいくつかピックアップしてみます。
【ボクサーとしての葛藤が少ない】
主人公チャーリーはボクサーだったけど、ロボットボクシングの台頭によりその職を失います。自身の職を奪った憎むべきロボットボクシングであるにも関わらず、ボクシングしか知らないチャーリーはロボットボクシングに関わることでしか生計を立てることが出来ません。或いは、例えロボットボクシングであったとしても、ボクシングに携わる仕事についていたいという思いがあったのかもしれません。そういった複雑な心理状況があまり描かれない点が、主人公というキャラクターとしてものすごく薄っぺらいものとなっていたような気がしました。
【父と息子との間で、母親のことが話題にならない不自然さ】
確かにこの映画は父と息子の交流が主軸の物語です。ロボットボクシングを通じて父と息子がお互いのわだかまりを徐々に解いていくという展開はそれなりに感動的なのですが、ただその過程で母親の話題が持ち上がらない点に、どうしても矛盾や違和感を感じてしまいました。
マックスと交流していく中でチャーリーの中に徐々に父性が目覚めていけば、当然ひとりで子育てしていたキャロラインのことについて思いを馳せるだろうし、マックスにしても「どうして父は自分を捨てて母は別れてしまったのか?」その理由が知りたいはずだと思います。そういうことを父と息子で語り合う場面を是非挿入して欲しかった。そうすれば親子のドラマとしてもっと厚みが出たのにと残念でなりませんでした。
【アトムの模倣機能には、まったく意味がない】
映画を見るまでは、それほど魅力を感じなかったロボットたち。だけど、実際に動く映像を見たらなかなかにかっこ良かったです。しかしながら、主人公アトムに関してはいろいろと思うところがありました。このテの映画のアラを探してツッコミを入れるのはヤボだということを重々承知で、それでも敢えてそのあたりを記したいと思います。
〈アトムの顔や手のデザインに関して〉
アトムは対スパーリング用のロボット。劇中でもそのことを理由にしてアトムの頑丈さが強調されています。それなのに、顔が網(あみ)ってのはおかしくないですか?。そこを一番頑丈に作らなくっちゃダメでしょう。それとアトムの手です。いわゆる人さし指がついているんだけど、ボクシングロボなのだから、指は必要ないだろうと思うわけです。例えば、ゼウスのようにショー用ロボなら、例え指があったとしてもそれはパフォーマンス用だと多少納得はいく訳です。でもアトムは単なる練習用ロボ。その手はいわゆるグーパンチの形をした鉄の固まりで充分だと思うのです。大体指関節みたいな繊細な部分があったら、そこから壊れちゃいますよ。アトムは対スパーリング用ロボだと謳いながら、その実デザインはその体(てい)を成していない訳です。
〈アトムの模倣機能には、まったく意味がない〉
アトムには目の前にある対象物の動きをそっくり真似をする模倣機能がついています。これがドラマの伏線となっていて、クライマックスでそのことが活かされます。確かにヒュー・ジャックマンの動きを真似しながら戦う場面は、感動的でした。でも、ちょっと冷静になって考えてみると、この設定も非常におかしいことに気付きます。なぜなら模倣機能というのが対スパーリング用ロボットの性能としては、実に意味のない機能だからです。自分の動きをそっくり真似するロボットを相手にスパーリングしても、練習になる訳がない。それは鏡に向かってシャドーボクシングをしてることと同じです。これが人間ならフォームの確認や修正といった意味もありますが、ロボットにはまったく必要のないものです。
そして、何よりも不可解なのはアトムが真似をする対象をどうやって認識しているのか?ということです。真似をする対象が近くにひとりしかいない状況ならまだしも、例えば試合会場のような不特性多数の人間がいるなかで、なぜアトムはゼウスの真似ではなく、ヒュー・ジャックマンの真似を出来たのでしょうか?。単なるスパーリング用ロボットなのにも関わらず、高度な認識機能を持っているとしか思えません。
つまるところ、アトムは対スパーリング用ロボット(しかも旧式)だといいながら、そのデザインや性能がそれと全然マッチしていないのです。これが単なる脇役ならだまって目をつぶることも出来ますが、アトムは主人公なので、つじつまの合わない設定は、やはりどうしても気になってしまいます。これが、ドラマの世界に没頭出来ない大きな要因のひとつとなってしまいました。
【ドラマとしての終わり方が良くない】
映画はアトムが最新型の高性能ロボット・ゼウスと善戦したものの、試合結果は負け。それでも、皆の顔は晴れやか!....みたいな感じで終わりを迎えます。試合の流れや終わり方が「ロッキー」まんまですが、それ自体は別にどうでもいいのです。オイラが感じたのは、「これが単なるロボットボクシングの物語ならそのエンディングでも全然問題ないけど、これが親子の絆の物語だとしたら、そこで終わっちゃダメだろう!」ということでした。
例えば、エンディングで母親の墓参りに行って懺悔するチャーリーというのもありだと思うし、マックスの将来を考えてやはり叔母夫婦に引き取ってもらう決断をするチャーリー、とか、そういった場面があっても良かったように思う。チャーリーが父親としての自覚に目覚めた故の行動というものを最後にきちんと見せることで、ドラマとしての厚みがもっと出たのに、と残念でなりません。
ショーン・レヴィの作品は「ナイト・ミュージアム」しか見たことがありませんが、その時にも感じたなんだかとっても“薄い”感じが、今作からも感じられました。コメディ映画だろうが、アクション映画だろうが、核となるドラマの部分を軽んじると、作品自体がとっても薄っぺらく軽いものになると感じた「リアル・スティール」でした。
ダニー・エルフマン大好きなんだけど、今作はなんか今イチでした
「その名前、日本では使えませんよ」

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